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牛首紬について

牛首紬の歴史と魅力

牛首紬─。不思議な名前です。けれどもこれは日本で最も高品質で、しかも深い愛情とともに織られた紬の名でもあるのです。

牛首紬の生産地である白山市白峰は、石川県の東南に位置し、福井県の勝山や岐阜県大野郡の白川村などに隣接した山村で、加賀平野を貫く手取川の水源や霊峰白山といった豊かな自然環境の中にあります。

いまから約千年ほど前の養老元年、修験行者であった泰澄大師が白山を開き、守護神として牛頭天王・十二神将などを祀りました。そして「牛頭」が語源となって「牛首」の地名が誕生し、そこに現在の白山市白峰がおかれています。 ではなぜ牛首で紬が織られるようになったのか、ということに関しては確かな文献もなく、わが国の他の伝統工芸と同様に伝承の域をでないものですが、ご紹介しておきましょう。

─その昔、平治の乱(1159年)で敗れた源氏の落人、大畠某が牛首の地に流れてきた。その大畠某はひそかに源氏再興の時節到来を待つべく、「尾の上」と呼ばれた山上に城を構えた。その妻女が機織りの技に優れ、その技を村の婦女子に伝授した─。

日本有数の豪雪地帯として知られる白峰村一帯は冬になると積雪が3、4メートルにもなり、11月の下旬から翌年の4月まで雪に閉ざされるのが常でした。そして村では養蚕は貴重な現金収入の手立てとして盛んに行われていました。 商品としての繭は生糸や羽二重のために上質なものだけが選別 され、二匹の蚕が共同して同時に一つの繭を作る「玉 繭」はその選別から外されていました。


牛首紬は、その玉繭を主として織られています。暖かな春の日を夢見て一心に繭づくりに励む二匹の蚕は、成虫になった時には夫婦となる運命の雌雄ともいわれています。牛首紬は繭づくりの段階からすでに心が込められている、と表現したらロマンティックすぎるでしょうか。


牛首紬は長年わたり、全生産工程を一貫して手作業で行う、という全国でも極めて珍しい方法を採っています。これはあくまでも自分達の納得のいく織物を作るために、あえて安易な分業化を選ばなかったのだと考えられています。産業としての効率から見れば、製糸業者と織物業者、そして販売業者が連携することが合理的であることは明白です。しかし、織物を単なる産業製品と見ず、歴史ある伝統工芸品と考えた場合、各作業に携わる人々が全行程の知識を有しながら働くという環境には真の意味の合理性があるといえるのではないでしょうか。

牛首紬の歴史は長く、記録を調べると江戸時代にはすでに全国に出廻っていたことがわかります。そして明治の中期から昭和初期までの生産は拡大の一途をたどりますが、折からの経済不況と戦争への突入により、その販路が急速に縮小。そして昭和25年、本格的な紬生産は姿を消すことになります。そして同時に、紬の技術に関する資料は全て廃業の悲しみとともに破棄される、という運命となってしまうのです。

しかし、そんな時代の流れにおいても、伝統の技術は絶えることなく保持されていました。そして、昭和38年、白峰の地場産業の振興を志した西山鉄之助が桑畑の造成を始め、養蚕を開始。そしてその翌年には紬工場を建設し、土地の多くの人々の努力とともに牛首紬の再興に成功。今では日本の代表的な高級紬として広く愛されるようになりました。

牛首紬は、繭を熱湯で煮込んでいるところから直接手で糸を紡ぎ出す、という手法を採ることで、独特の風合いを醸し出しています。また、人力によって力強く丹念に機織されることから、並外れた堅牢さを合わせ持っています。亨保年間の文献には「釘貫紬」として記載されており、釘をも抜いてしまうほどの強靱さに人々が驚いていたことがわかります。

白山麓の風土と歴史と、人。そのすべての美しいハーモニーによって織られる牛首紬は、着る人に無上の喜びを与える芸術品なのです。
牛首紬の歴史と魅力牛首紬の出来るまで自家製繭への挑戦染めの素材と技
つの屋【角印・牛首紬専門店】石川県白山市部入道町ト40 TEL.076-273-5755
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